パフューマリー通信 Vol.8

今日は霜月の新月。今回のパフューマリー通信は『音楽と香り』について。

『Rachmaninoff’s Piano Concerto No.2』

私の処方ノート 2020.9.18付にRachmaninoff’s Piano Concerto No.2(ラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番)の試作記録があります。セルゲイ・ラフマニノフ(1973-1943)は帝国ロシア出身の作曲家・ピアニスト・指揮者で、最後の古典ロマン派音楽家のひとりです。ピアノ協奏曲第2番は彼の代表作で、初めて聴いたときに全身鳥肌が立つような、感動を通り越した衝撃を受けました。

ロシア正教の教会の鐘の響きのような重厚な低音から始まる第一楽章、広大なロシアの大地と静寂な湖を連想させる第二楽章、そして反ヨーロッパ的な美しさと気品溢れる第三楽章。烏滸がましいとは思いつつも、この作品を香りとして調香したいと思って試作したもの。先日2年以上寝かせた試作を聞いて、シスタスやレモングラスの酸味はすっかり抜けていて、第一楽章の静かに始まる重厚な低音が響くようでした。残香は気高さがありながら、どこまでも続く大地を連想させる厚い自然への信仰がある第二第三楽章を勝手に解釈。処方を見直しながら、いつか御披露目できるよう構成を描いています。

先日音楽と香りのコンサートを開きました。事前に2種類の香りのテーマに沿って奏者のピアニストとチェリストの方に選曲をお願いしたのですが、コンサート当日演奏を聴きながら、香りではとても及ばない音楽の感情豊かで壮大な景色の表現に平伏し、永遠の憧れを覚えました。

『香道 ~香りを聞く』

香道では香りを『聞く』といいます(『聞香(もんこう)』)。御家流香道で用いる香木は六国五香。全て沈香木で産地によって香りが分類されます(佐曾羅は例外で白檀)。

  • 伽羅(きゃら):インド
  • 羅国(らこく):タイ
  • 真那蛮(まなばん):マナバール(インド)
  • 真那伽(まなか):マラッカ
  • 佐曾羅(さそら):サソリ―島
  • 寸聞多羅(すもたら):スマトラ島

香道の成立は禅の影響を大きく受けており、ひとつの香木の美をじっくり鑑賞するもの。心の中の耳を澄ましてひとつずつ香木を聞きながら、香木が語り掛ける香りの声を感じ取ります。そして香りから感じ取った情景や想いを中世より培ってきた歌学により表現する。組香(くみこう)とは季節行事やテーマに沿って組まれた香木を聞き分ける遊びですが、組香に和歌が添えられ(証歌)、聞き分けた香りを和歌で答えます。それぞれの香木の香り立ちに特徴はあるものの、あるかないかのかそけき美。微細な香りであっても、和歌で磨かれた美意識が骨格にあるからこそ、香道は芸道として発展を遂げていきました。

『調香と音楽』

嗅覚には他の五感と違って専門の用語がありません。味覚なら甘い・辛いなど、視覚は色や形、触覚は温かさや肌触り、聴覚には絶対音階などある程度共通した認識の指標がありますが、嗅覚にはそのような指標となる言葉が存在しません。従って、他の五感の感覚や感情を用いて表現されます。香りを色として捉えたり、光の明暗、重さ、肌触り、情景、感情など。中でも音楽は香り・調香との親和性が強く、調香では音楽用語が頻繁に使われています。

例えば、柑橘系の香りをシトラスノートといいますが、ノートとは音符という意味。和音を意味するアコードは複数の混合香料を意味します。和声進行とは和音を繋げることによってできる音の進行で、メロディやリズムとともに音楽を構成する三大要素のひとつ。アコードを重ねて調香するスタイルと深い親和性があります。19世紀のイギリス人調香師G.ピアスは音階に従って香りを分類しました(ドはローズ、レはすみれ、ミはミモザなど含むアカシア、ファはチュベローズ、ソはネロリetc)。

また、調香棚はその形からパフューマリーオルガンとも呼ばれてきました。香りの重さ(揮発速度)や特徴などによって数段に分けて香料が並べられたはまるでパイプオルガンのよう。調香師は自分の香料コレクションをオーケストラとして捉えることもあります。異なる音域や音色を持つ香料(楽器)が調香師(指揮者)によって演奏され、ハーモニー(調和)を奏でるように調香します。

私の音楽と香りの探求も始まったばかり。9月にBLISSの初めての香水として勇敢な女性・シェヘラザードに捧げる『パルファン 1001 Nights』をお披露目いたしましたが、ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフは1888年に交響組曲『シェヘラザード』を発表しました(没後の1910年にミハイル・フォーキンの振付によってバレエ『シェヘラザード』が制作されました)。リムスキー=コルサコフの『シェヘラザード』で印象的なのは第一楽章の冒頭。前王妃に裏切られたシャフリヤール王の怒りが露わに表現された迫力ある演奏、その後にハープ伴奏のバイオリン独奏による静かで艶やかなシェヘラザードの語り掛け。一方、『パルファン 1001 Nights』はふんわりと甘さがありながら、時折ほろ苦さを交えた艶やかさを主題としています。調香は音楽による表現の豊かさには決して叶わないけれど、脳や感情に瞬時に働きかける香りの働きによって、音楽をより一層豊かに感じることができるのではないかと思っています。

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次回は『調香』についてです。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。