2025年10月某日。モビール作家・三崎大地さんからご展示のご相談をいただいた。数日前、知人のOさんを介して三崎さんがわたしと一緒にモビールと香水の展示をしたいと話していたことを密かに伺っていたので、二つ返事で即答した。展示会場は大好きな白鷺美術。展示期間中に演奏会の企画もあがっており、奏者のおひとりTさんが今夜白鷺美術に来るので一緒に来ないかというお誘い。夫に娘の寝かしつけをお願いして、夜の白鷺美術へと出掛けた。
三崎さんのことは前々から存じ上げていて、展示にお伺いしたり、いろいろなところで作品をお見掛けしていた(要するに、三崎さんのモビール作品のファンのひとり)。はじめて言葉を交わしたのは 2024年12月に白鷺美術で開催した Myrtestränen ミルテの涙 クララ・シューマンに捧げる 香水と音楽と朗読の調べ にて。2階のギャラリーで香水と共に展示していたアコヤ貝に興味をお持ちいただき、富山の海岸でアコヤ貝を拾ったことがあるとお話くださった。三重・英虞湾が真珠養殖に適する最北域と聞いたことがあったので、こんな寒いところまでアコヤ貝は北上するんだ(温暖化の影響?)と驚いたとともに、三崎さんの探求心に感銘を受けた。
白鷺美術に到着するとOさんもいて、縄文土器と弥生土器はどちらが芸術性に優れているかという議論になり、満場一致で前者に軍配が上がった。展示の打ち合わせという名目で集まったものの、縄文時代のことでひとしきり盛り上がった後は今度真珠養殖所に三人で行きましょうということでその日は別れた。
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前年に伊勢志摩にあるYさんの養殖所に伺ったのは10月初旬だった。春先から数カ月間掛けて行う核入れ作業が終わり、真夏の強い日差し下で行う貝掃除も大変な重労働。Yさんにとっての10月は暑さのピークが過ぎて束の間の休息のような時間だった。にもかかわらず、伊勢志摩滞在中はゆっくりとご案内いただき、鳥羽のミキモト真珠博物館では地元水産高校で真珠養殖の講義も担当していたYさんによる特別講義付きツアーとなった。

翌朝、養殖所近くで現役の灯台として稼働する大王﨑灯台と英虞湾が見渡せるともやま公園へ連れていただいた。公園からの夕陽と英虞湾は絶景で「キツイ仕事の後でも夕陽を見ると(養殖の仕事を)やっててよかった、癒される」というお話は、ショーケースに並ぶ真珠のネックレスやピアスからは決して伝わってこない、養殖現場の過酷さを物語っているようだった。
養殖所(通称:浜小屋)ではYさんお手製の(Yさんが釣った)アジのてこね寿司とYさんのお父さんが自食用に養殖した茹でたてのワタリガニを昼食にいただき、もったいないほどの歓待を受けた。さらには、Yさんのご親戚がまだ核入れをしているからと急遽船を出していただき核入れ作業の見学へ。前日博物館で観た核入れの映像が目の前で再現され、今でも現役であられる81歳の女性職人の見事な手さばきに恍惚と見入った。香りが好きなYさんとは話が尽きず、鵜方駅食堂の名物焼き伊勢うどんを完食したあとは、電車の発車時刻5分前まであれこれお喋りして、再会を約束して金沢への帰路についた。

白鷺美術での夜のあと、久しぶりにYさんに連絡を取ったーー「今の時期は貝の掃除だけで、次の見どころは12月後半の貝剥き、それが終わるとしばらく仕事は休みに入ります。こちらはだいたいいつでも大丈夫ですよ。」。足手まといにならければ三人で貝剥きに参加したい旨をお伝えし、12月下旬に養殖所へ伺うことになった。
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12月19日13時過ぎ、三崎さんの運転で金沢を出発。19時前に鳥羽に到着するも殆どの飲食店が営業時間外で、路地で迷い込むように見つけたとんかつ屋さんへ。三重は赤みそ文化なので、とんかつは味噌だれ。わたしの日替わり定食も美味しかったが、赤みそで育ってきたわたしはふたりのとんかつ定食に羨望のまなざしを向けていた。おなかいっぱいになってお店を出ると、向かいは世界ではじめて真珠養殖を成功させた、ミキモトの創業者・御木本幸吉の生家跡だった。真珠ツアーはすでにはじまっていた。

宿泊はキッチン付きの素泊まりだったのでチェックインの前にぎゅーとら(伊勢志摩の地元スーパー、金沢でいうニュー三久やマルエー)に立ち寄り、地元の珍しいものにあれこれ目移りしながらついいろいろ買い込んでしまい、宿に到着したのは21時近くだったと思う。チェックインが遅くなったにもかかわらずオーナーの方は寛容で、聞けば金沢工業大学出身でしばらく金沢で働いていたとのこと。随分と遠いところまでやってきたはずなのに、不思議につながるものはつながる。
次の朝は予報通り雨。前日Yさんからの電話で「わたしたちは朝6時半から沖から真珠を揚げにいっているけれど、そんなに早くきてもらっても困るからゆっくりでいいよ」と聞いていたので、観光がてら大王﨑灯台へ。雨が止む気配は一向になかったが、せっかくなので波切神社まで足を伸ばした。かつて捕鯨が行われていた波切では解体したクジラの内臓から大きな卵型の石が出てきて、畏れた漁師たちが波切神社に鯨石として祀ったという記録があり、今回の展示ではアンバーグリスを使った香水をつくろうと決めていたわたしは鯨石にも興味津々だった。




波切神社にお詣りした直後の10:30過ぎ、Yさんから着信があった。もうすぐお昼ごはんだからその前に来てほしいという。朝ゆっくり来て=11時前後と踏んでいたわたしたちは大きな勘違いをしていたことに気付く。みな朝6:30から作業しているのだ、おなかが空くのは早いはずだ・・・!
急いで駐車場へと駆け下り、養殖所のある船越地区へ。車一台しか通れないであろう藪に覆われた細い道を2-3分ほど降りていくと急に視界が開けてくる。海だ。車を停めて急いでレインウェアと長靴に履き替え、初っ端からご迷惑をお掛けして申し訳ない気持ちで走っていくと、Yさんは何事もなかったように朗らかな笑顔で迎えてくれた。午前中の作業が終わって、これから昼ごはんだから中に入っててと促された。
貝剥きとはその名の通り、アコヤ貝を剥いて身から真珠を取り出す作業だ。その際、貝柱は剥き分けて、きれいに洗った後、いただく。貝剥きの時期のときだけ食べられる知られざる珍味。新鮮な貝柱は酢味噌と小葱をかけて生食としていただくのがYさん流の食べ方で、コリコリと触感もあり、美味しい。ご飯(白飯)はみな持参で、わたしたちも朝お宿で炊いたご飯をおにぎりにして持っていった。アコヤ貝が海の脅威からその身を守るために貝柱が踏ん張って貝の開閉動力を担っていることを、文字通り噛みしめながら実感した。

昼食を食べながら自己紹介と質問タイムがはじまる。「今日集まったみなさんのご関係は?」「(Yさんの)お父さんは何歳の時から養殖を?」みなさんが持ち寄ったおかずをいただきながら、和気あいあいと時間が流れていく。真珠養殖は基本的に家族単位で営まれており、普段の作業は1-3人程度で行っている。貝剥きの時期、Yさんの養殖所では親戚や友人を呼んで数日間で一気に4万個ほどの貝を剥く。親戚も養殖業を営んでいるので、お互いに協力し合いしながら、養殖所ごとに順々に貝剥きを行っている。
昼食が終わると昼前には弱くなっていた雨も上がり、作業再開。そばで(邪魔にならないよう)見学させてもらう。みなとにかく作業が早い。ヘラのようなナイフであっという間に貝を開け、貝柱と身を切り剥がして、最後に貝柱を貝殻から切り落とす。

最初は「これなら出来そう」と前準備として沖から揚がったアコヤ貝同士を引き剥がす作業を手伝わせてもらう。ポケットのように分けられた網に3個ずつに入れられていたアコヤ貝は潮に流されないよう、お互いの貝に足を吸着させてくっついている。それを手でもぎるように剥がしてカゴにいれていく。その際に表面にホヤがくっついていたら剥がす。ホヤは食べられるので売り物としてお店に持っていくそうだ。

そのうちにYさんが「やってみる?」と貝剥き作業を教えていただくことに。教えてくれたのはYさん長女で大学生のHちゃん。9歳のときから手伝っているという彼女のナイフ裁きはベテランの域。貝剥きは大まかに①貝を剥いて開ける、②身と貝柱を剥きわける工程がある。ナイフと貝の持ち方から教わり、先ずは①、身のなかにある真珠を傷つないように貝にナイフを入れて、貝を剥くのをゆっくりと見せてくれる。恐る恐るやってみる。見よう見まねで貝は剥けるのだが、身がぐにゃりとしてしまう。Hちゃんが剥くと身の表面はぷるぷるしたまま。ナイフが貝と身のスキマに入り込んでいる証拠だ。三崎さんもOさんも一緒に貝を剥く。おふたりとも作家とあって手先はたいへん器用なのだが、とくにOさんの習得は早かった。隣にいたYさんの従姉(おなじく真珠養殖が家業)は「わたしよりも本当に上手」と何度も口にし、Oさんの作業スピードと精度は他のみなさんとさほど変わらないレベルへと上達していた。


①に慣れてきたころ、Yさんから②身と貝柱を剥きわける方法も教えていただく。貝柱の先端にナイフの先が当たるよう身の下からナイフを入れて、ナイフの側面で身を裏返すようひっくり返して身を貝柱から剥がす。こうして言葉で書いていても、最初は何をやっているのかさっぱり分からなかった。なかに真珠が入っているので、傷つけないよう慎重にナイフを入れる。ところが、なんとか身は剥がせても、貝柱を余分に切っていたりして、貝柱も販売用のものでもあるから気を付けないといけない。これが4万個があるなんて・・・とても気の遠くなる作業だ。同時に、たくさんのアコヤ貝のいのちの存在を目の当たりにする。

休憩時間になるとみなぴたりと作業の手を止める。Yさんのお母さんがお茶や缶コーヒー、栄養ドリンクを用意してくれた。子どもの頃、実家で農作業を手伝っていたOさんはこの光景を懐かしがり、稲作の育苗のときも近所親戚が横一列になって作業し、休憩時間には栄養ドリンクが配られるんだと話してくれた。


みなが貝剥きに励んでいる傍らで、Yさんのお父さんは身から真珠を選り分ける作業を繰り返し行っていた。撹拌機に集められた身と、粘り気をとるための石灰水を投入して、粉砕する。出てきた乳白色のどろどろした液体を今度は水槽に移して海水を流し込んでいくと真珠は水槽の底に沈んでいく。いろんな形、いろんな色をした真珠がある。真円の真珠はごくわずかだ。真珠を選り分けたあとの貝片にはザルの網にもかからないケシ(核がない真珠)が混ざり込んでいる。貝剥き作業が終わった後日、お母さんが丁寧に選り分けるのだそう。


洗い流した身の部分はそのまま海へ。魚やプランクトンのよい餌になるそうだ。ついさっきまで生きていたアコヤ貝のいのちと真珠をいただき、海に還すものは海へお還しする。SDGsが声高に叫ばれる昨今だが、ここにはずっと前から、脈々と受け継がれてきた循環する営みがある。お父さんが取り出した真珠を布袋に入れる。ひとと海が長い年月をかけて育んだ大切な宝が詰まっている。
夕方16時頃作業終了。その日はなんと1万個もの貝を剥いたそうだ。半日だけ、ほんの少し作業に加わらせていただいただけだが、ものすごい達成感と心地よい疲労感。Yさんをはじめ、終始みなさんはわたしたちを温かく迎えてくださった。作業中に交わされる他愛ないおしゃべりや笑い声。真珠養殖にはこうしたひとのぬくもりもが宿っていることを実感した時間だった。その日は冬至でちょうど新月でもあった。養殖所から眺める海はすっかり凪いでいて、穏やかだった。

Photo: Misaki Daichi


